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2015-02-06 23:35    ヴィトン 買取
  完全遮断の内と外  Hさんが死刑執行を体験したのは現在の大阪拘置所ではない。大阪市北区若松町にあった旧大阪拘置所においてである。現在は都《みやこ》島《じま》区に移転している。場所は変わったというものの、日本の監獄は明治以来いささかも変わるところはない。収監者の人格を無視し、人間性のかけらもない待遇というのが現実のようである。  旧大阪拘置所もまた、現在のどこの拘置所とも変わりない高いコンクリート塀にめぐらされていた。外からは内部をうかがうことはむろんできない。社会とは隔絶した存在であった。  何カ所かある門は鉄扉で固く閉ざされており、正面の門には刑務官が監視に立っている。門の出入りはこの監視人の許可なしには不可能だ。拘置所内に収監されている収監者に面会する目的のものはむろんのこと、取り引きのある商人にしても同様である。いっさい例外はない。これは現在もまったく変わりはない規則である。  収監者はコンクリート塀に囲まれた拘置所内の、保安区域に収容されている。拘置所に収監されている収監者は、まだ刑が確定していない、いわゆる未決勾《こう》留《りゆう》の身である。しかし、ほんのわずか、刑が確定した収監者たちもいる。それが死刑囚である。死刑囚たちはゼロ番区と呼ばれている死刑囚舎房に収監されている。  第一審の裁判で死刑の判決を受けた被告も、死刑確定者と同じ死刑囚舎房、ゼロ番区に収監される。ゼロ番区は、拘置所の保安区域の中で、死刑執行の行なわれる刑場から、できるだけ遠い位置が選ばれている。  死刑囚以外の被告、いわゆる未決勾留者は刑が確定すれば、それぞれいずれかの刑務所で懲役として強制労働に従事する。つまり、刑が確定すると同時に拘置所から出て行くのである。しかし、死刑囚は拘置所から出されるということはない。ゼロ番区の独居房が生涯の終《つい》の栖《す》まいということになる。  死刑囚は死刑の執行そのものが受刑である。したがって執行されるまでは被告としての待遇を受ける。未決と同じというわけである。  面会、差し入れ、文通は自由である。また、自分の所持金があれば、拘置所の制限範囲の買い物もできる。読書も自由だし、許される範囲のアルバイトをして小遣いを稼ぐことも可能である。服装も自前のものを着ていられる。  この部分は現在の死刑囚の待遇とはかなり異なる。現在では死刑が確定すると、親族と弁護士以外は面会できない。文通もこの限りである。親族が面会に来てくれない死刑囚は、外部との交流は弁護士と教《きよう》誨《かい》師《し》のみということになる。もし、教誨を受けないとすれば弁護士のみである。再審請求あるいは恩赦請願のいずれをもしなければ、弁護士の面会もめったにないという、まったくの孤立の身の上という次第となる。   死を待つ者への思いやり  Hさんが勤務していた当時の大阪拘置所は、かなり思いやりといたわりのある処遇を死刑囚にしていた。他の拘置所も、現在に比較すれば、はるかに心ある処遇を死刑囚に対してはしていた。しかし、大阪拘置所には遠くおよばなかったのではあるまいか。  独居房の様式やスペースはいまも変わっていない。三畳足らずの裸コンクリートの壁と天井。床は二畳分が畳敷き。残る一畳分は板張りで、ここに洗面用便兼用の水場がある。洗面用便兼用というと便器で顔を洗うような印象に聞こえるかもしれない。そうではない。流しがあって蓋《ふた》を閉じると机になる。一方、便器の蓋をすると椅《い》子《す》になる。流し、便器で机と椅子として使用するようになっている。  窓には鉄格子。廊下側のドア、つまり出入り口はのぞき穴と食器出し入れ口のついた鉄扉。  閉じ込められている状況は現在と変わるところはない。しかし、死刑囚への思いやりというものは現在とはまるでちがっていた。死刑囚に明日はない。再び生きて社会に戻ることはない。残されたわずかな時間を、可能な限りよりよく生きられるように、という思いやりがあった。  法で裁かれ、死刑を言い渡されたものへの、拘置所でできるせめてもの人間愛を注ごうという姿勢である。