ビィトン長財 布新 作
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null 蔵元へ念を押すように、わたしは言った。吟醸香のたつ検査室は、しばしツル談義に沸いた。  蔵の創業者が、山水画を好んでコレクションしていたと聞き、拝見することとなり、母家へと案内される。廊下をきしませていくと、着物姿の鶴三郎氏(八十歳)が、ちょうど庭の手入れをしているのが見えた。 「ああ。あんたがはるばる奈良からきたちゅう文士かね」  視線が合った瞬間、先代鶴三郎氏は、ニコリともせず、こちらへ一瞥《いちべつ》をくれた。無愛想で、いかにも頑固そうである。相手にさぐりを入れず、スパッといくところは、石見人気質さながらである。 「いいえ、そんな大そうな。ただの釣り屋ですよ。高津川の伏流水で仕込むこちらの酒質にひかれ、こうしておじゃましたんです」 「そうか。息子にゃあトコトン言《い》うて下さいのう」  父の言葉に、蔵元はきまりわるそうに頭をかく。庭の池には、一メートル近い錦鯉が泳いでいた。 「しかし、けっこうな庭ですね」 「なあに、たいしたことない。ここにはなあ、戦前まで形のよいツルの置き物が三つあったんだ。鉄製でね。武器が不足した戦時中に、仕方なく供出《きようしゆつ》したもんだ。それで、うちの庭もどこかしまりがのうなってしもうたよ」  すでに現役を退いてひさしい鶴三郎氏は、もっと語りたげに、樹齢百年をこえるクロマツを見上げた。  夕方、鹿足郡《かのあしぐん》六日市《むいかいち》町にすむ友人ふたりが、わたしをたずねて蔵へやってきた。  どちらも渓流釣りを通じて知り合った間柄で、兼業農家のサラリーマンだ。ひとりは魚酔《ぎよすい》(吉中力《よしなかちから》・四十歳)、もうひとりは魚楽《ぎよらく》(桑原之也《くわばらゆきや》・三十八歳)の釣号をもつ。酒好きなかれらは、「扶桑鶴」の名は折にふれ耳にしていたが、醸造元へ立ち寄るのははじめてらしい。蔵元をまじえ、しばらく懇談する。  大吟醸を買いこみ、蔵を辞して六日市町へとむかう。三人の乗ったクルマは、高津川べりの国道を快走し、一時間ほどで最上流の町に着いた。  魚酔の家へあがりこみ、四方山話《よもやまばなし》を肴に酌《く》みかわす。  すぐ近くをながれる本流の約三キロ区域は、希少なオヤニラミ(スズキ科の淡水魚。えらぶたに眼とおなじくらいの藍色に光る斑紋があり、別名四つ目魚と呼ばれる)の生息場所でもある。かれはひそかに、オヤニラミの飼育研究をしている。  墨の濃淡が巧みな一枚の壁掛けに、ふと気がつく。魚酔の叔父が筆をとったという「竹林の七賢人」であった。  わたしは酔うにまかせ、地方蔵の実情を、かれらにゆっくりと打ち明けた。